「塩の道」宮本常一著 その①~塩と鉄と牛と東北地方~

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「塩」の摂りすぎが引き起こす病(胃がんや腎臓の病)が
現代を生きる私たちの大きな悩みの種ですが、

塩はヒトが生きていくうえで欠かせない、
自分で作り出すことができない、
生命の維持に不可欠な食品です。

塩は、わずかな量ですが、
細胞の浸透圧を一定に調整し、
血液が酸性に傾きすぎないようにし(弱アルカリ性)
体液量を調整し、
神経の伝達を助け
食欲を増進させ栄養を摂ることを助けます。

生命の維持には欠かすことのできない食品なので、
大昔から塩を制すること、塩の流通を支配することが
権力を握るカギでした。

ちょっとはまっておりました(笑)古代韓国を舞台にした歴史ドラマの中にも、
「塩」や「鉄」をめぐる利権の取り合い、駆け引きが
政争の大きな種となって為政者を悩ませます。

とくに海から離れている地域では塩の問題は「民」の死活問題。
ヨーロッパの内陸地方でも、日本でも、中国や朝鮮でもしかり…。

現代のように人工的に塩を作ることができるようになるまで
岩塩の鉱脈は「お宝」でしたし、
塩の交易は「胡椒」と並びもっとも重要な品目の一つでした。

日本でも塩がつく地名はたくさんありますよね。
塩釜、塩尻、大塩、塩沢、塩田、塩崎、塩津…

塩の生産地だったり、
塩が豊富に取れたり、
塩と交換する当時の交易の中心地だったことでしょう。

上杉謙信の「敵に塩を送る」など塩をめぐる言葉もあります。


鉄もまた、

建築物から武器、農機具、日用品に至るまで
鉄製の道具がないと何も作れません。

まさしく鉄を制する者は国を制す、です。


「塩」と「鉄」は政争・政治だけでなく
人類の生存と文化のキーワードですよね。


韓ドラの歴史物を観ていて
「塩」についての興味が湧いたので
民俗学者、宮本常一先生の 「塩の道」という本を読みました。

塩は食品の保存にも欠かせませんが、

面白いと思ったのは
塩を摂取する手段だったという「塩漬けの魚」についての記述。

「塩魚というのは、
魚を食べるというよりも、
むしろ塩を食べるということが一つの目的であった…」

「大和の山中の人たちなども、
塩イワシを買ってくると、
けっして煮ないで必ず焼きます。煮たら塩が散ってしまうからです。

焼いた日はまず舐める。
次の日に頭を食べ、
その次の日は胴体を食べ、
その次の日はしっぽを食べる、というように
一尾のいわしを食べるのに4日かけるのです。

それほど塩というものは山中では貴重なものでありました」

塩を売る方にとっても
塩魚ならば「塩」に付加価値がついて
より高額で売買できるからお金にもなった。

また、見逃せないのが
良質のたんぱく質であり、
日本料理文化の要、バリエーション豊富な「豆腐」づくり!

質の悪い塩からとれる「ニガリ」は
日本全国どこでも、
大豆さえあれば「豆腐」を作ることを可能にした、と。

海に囲まれている日本では
岩塩ではなく、海水から塩をとります。

製法はいろいろあったようですが、

土器から鉄器へ
鉄製の鍋が作られるようになったことで
飛躍的に効率よく多量の塩を生産できるようになったそうです。

なかでも特に興味深かったのが
東北地方についての記述です。

海辺でとれた「塩」は「牛」の背に積んで内陸部や
人口の多い地方(関東地方)へと売りに行く。

牛は飼葉を道端の草で賄えるので都合がよく
馬のように手間がかからない。

1人で6頭くらいの牛を連れて歩くそうで、

ちなみに、野宿をして牛を休ませる夜は、
オオカミなど他の動物に「塩」を狙われないよう
牛の足を円の中心に向け、円陣を組み、
その円の中で火を焚き、
牛のおなかに持たれてヒトが眠る…。
(なんだか想像するだけで心地よさそうです、ね(笑))

日本での大きな塩の産地は何と言っても瀬戸内海地方ですが

東北の三陸地方をはじめとした沿岸部は「塩」の産地であり
北上川の上流で鉄が採れる「鉄」の産地であり
「南部牛」の産地でもある、と。


《…このようにみていきますと、
鉄に限らず、東北で算出して、
それが関東平野あるいは中部地方に運ばれるものは、
多くの場合、牛で運ばれたのだということがわかります。

東北の文化を遅れたもののように思っておりますが、
東北のもつ基本的な生産力の及ぼす範囲というのは、
(牛の分布を通してみると)じつは中部地方西部にまでわたっていたのだということになります。・・・

…目の見えないところで大きな生産と文化の波が、
そのような形で揺れ動き、その上層に、記録に残っている今日の歴史があるということです。》


話は飛びますが
昨年、4月末に宮城県南三陸町、登米市、栗原市、石巻市を
尿モレ予防の骨盤底筋体操やNW運動指導のボランティアで
宮城在住のNW仲間にサポートしていただき、少しだけまわりました。


震災のことはさておき
登米市も栗原市も歴史の重みを感じさせる重厚な街並みでした。

塩釜には寄れませんでしたが
「塩」と「釜」(鉄)と南三陸町の塩蔵「ワカメ」が頭の中でクリアに結びつき(笑)
「塩の道」を読んで、再訪したくなりました。

※上の画像は登米市:宮城在住のノルディックウォーキング仲間と
下の画像は震災前と震災後の南三陸町。
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追記:「塩の道」講談社文庫 
宮本常一先生は民族学随一と言われるほど多くのフィールドワークを行い、
記録の執筆と同時に見聞と体験を中心として
日本人とは何か、そのありようを探り続けてきた学者


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