
清水山裾野のブドウ畑
榎本武揚、
箱館戦争その後
知らなかったぁ。
榎本武揚は戊辰戦争の後、新政府軍と闘い
「
箱館戦争」で亡くなったとばかり思い込んでいた。
歴史の教科書には官軍に負けた敗軍の将の
その後について書いていなかった?ような気がする。
1月9日付の朝日新聞「北の文化」黒瀧秀久氏著(
東京農大生物産業部長)
に興味深いエッセーが掲載されていました。
江戸幕府旗本出身の
榎本武揚は、
10代の若さで蝦夷地探検に加わり
オホーツク海やサハリンで見た外国捕鯨船の近代技術に衝撃を受け
長崎の海軍伝習所に入学。
その後、軍艦「開洋丸」に乗ってオランダに留学。
近代ヨーロッパを見聞。
造船学、蒸気機関学、化学、鉱物学、
製鉄技術や電信技術、国際法に至るまで幅広く学んで帰国。
大政奉還の後、
禄を失った旧幕臣を北海道の開拓に従事させ
豊富な地下資源を生かして産業を興し、
箱館を中心に「蝦夷共和国」建国しようとして
新政府軍と戦い敗れた…
…歴史の教科書ではここまでだったような……
榎本はいったんは投獄され死を覚悟したが、
榎本の知識素養の深さに感銘した新政府側の敵将、
黒田清隆(薩摩出身)が
「日本の近代化には彼の力が欠かせない」と考えて
各方面に助命を嘆願、命を救われたという。
そして、北海道開拓使長官となった黒田に仕え
その片腕として鉱物資源や地域物産の調査に従事。
北海道開拓の基礎を担った、という。
富良野市清水山から富良野盆地の眺め↓
![s-F1000924_20081117225103s[1]](http://blog-imgs-88.fc2.com/f/u/r/furano2008/20160120150248f6ds.jpg)
秋の清水山から東を望む
大雪、十勝岳連峰

西を見れば、夕張山系芦別岳
↑現在の富良野盆地は道内でも有数の農業が盛んな土地ですが
開拓が始まるまでは、森林の生い茂る鬱そうたる原野で
水はけの悪い泥炭地でした。
ちなみに
榎本武揚は73歳まで生き、
軍人、外交官、政治家、科学者、実業家、と様々な顔を持ち
「近代の万能人」ともいわれたようですが、
教育の分野でも力を発揮。
近代化と北海道開拓のために農業振興の重要性を痛感、
理論を実践する「実学主義」を唱え
東京農学校を設立(後の東京農業大学)、文部大臣にも就任。
(だから網走に北方農業の研究と実践の場として
東京農大のオホーツクキャンパスがある…)
榎本武揚と
東京農大の関係を知った次第です。
幕末から明治にかけての北海道開拓の歴史は、
絶えず時の権力者の政争があり、
利権やお金やが絡み合い、
簡略に書かれたものを読んでいるだけでうんざりしますが、
少なくとも、
日本の近代化のために北海道の可能性を切り拓こうとした
榎本武揚の業績は大きかったのだ…
ということを改めて納得した次第です。 ^-^)ノ
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