榎本武揚、函館戦争その後~知らなかった…

F1003274_20160120150249a8f.jpg清水山裾野のブドウ畑
榎本武揚箱館戦争その後

知らなかったぁ。

榎本武揚は戊辰戦争の後、新政府軍と闘い
箱館戦争」で亡くなったとばかり思い込んでいた。

歴史の教科書には官軍に負けた敗軍の将の
その後について書いていなかった?ような気がする。

1月9日付の朝日新聞「北の文化」黒瀧秀久氏著(東京農大生物産業部長)
に興味深いエッセーが掲載されていました。

江戸幕府旗本出身の榎本武揚は、
10代の若さで蝦夷地探検に加わり
オホーツク海やサハリンで見た外国捕鯨船の近代技術に衝撃を受け
長崎の海軍伝習所に入学。

その後、軍艦「開洋丸」に乗ってオランダに留学。
近代ヨーロッパを見聞。

造船学、蒸気機関学、化学、鉱物学、
製鉄技術や電信技術、国際法に至るまで幅広く学んで帰国。

大政奉還の後、
禄を失った旧幕臣を北海道の開拓に従事させ
豊富な地下資源を生かして産業を興し、
箱館を中心に「蝦夷共和国」建国しようとして
新政府軍と戦い敗れた… 

…歴史の教科書ではここまでだったような……

榎本はいったんは投獄され死を覚悟したが、
榎本の知識素養の深さに感銘した新政府側の敵将、

黒田清隆(薩摩出身)が
「日本の近代化には彼の力が欠かせない」と考えて
各方面に助命を嘆願、命を救われたという。

そして、北海道開拓使長官となった黒田に仕え

その片腕として鉱物資源や地域物産の調査に従事。
北海道開拓の基礎を担った、という。

富良野市清水山から富良野盆地の眺め↓
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秋の清水山から東を望む
大雪、十勝岳連峰 

IMG_0700.jpg
西を見れば、夕張山系芦別岳

↑現在の富良野盆地は道内でも有数の農業が盛んな土地ですが
開拓が始まるまでは、森林の生い茂る鬱そうたる原野で
水はけの悪い泥炭地でした。

ちなみに榎本武揚は73歳まで生き、

軍人、外交官、政治家、科学者、実業家、と様々な顔を持ち
「近代の万能人」ともいわれたようですが、
教育の分野でも力を発揮。

近代化と北海道開拓のために農業振興の重要性を痛感、

理論を実践する「実学主義」を唱え
東京農学校を設立(後の東京農業大学)、文部大臣にも就任。

(だから網走に北方農業の研究と実践の場として
東京農大のオホーツクキャンパスがある…)
榎本武揚東京農大の関係を知った次第です。


幕末から明治にかけての北海道開拓の歴史は、
絶えず時の権力者の政争があり、

利権やお金やが絡み合い、
簡略に書かれたものを読んでいるだけでうんざりしますが、

少なくとも、
日本の近代化のために北海道の可能性を切り拓こうとした
榎本武揚の業績は大きかったのだ…

ということを改めて納得した次第です。 ^-^)ノ


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